現代版『十牛図』

現代版『十牛図』

2025年11月1日

こんばんは!禅の世界で『十牛図』というものがあります。10枚の水墨画になるのですが、ストーリ性があってなかなか面白いです。

今回のバーチャル坐禅会では「十牛図」をテーマにお話しできたらと思います。

十牛図とは?

まずは「十牛図」がどのようなものなのか。簡単にご説明します。

十牛図は、禅の修行における「悟りへの道のり」を10枚の絵で段階的に表したものです。例えるなら、修行の教科書のような位置づけです。

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ここでは、牛は「悟り」や「本当の自分」にたとえられています。

ちなみに、十牛図は主に臨済宗で用いられますが、私は曹洞宗の僧侶です。しかし、この図が描く「何かを会得するプロセス」や「禅の世界観」は皆さんが目標を達成したり、スキルを体得するときの大きなヒントになると考え紹介させていただきます。

しかし、現代人にとっては「牛を捕まえる」というのは身近な行為ではありません。
ですので、今回は皆さんの生活にもっと身近なものに例えて紹介したいと思います。それは、「カフェでFree Wi-Fi」接続するという行為です。

では、最初の図から順番に見ていきましょう。

十牛図

1.尋牛

少年は牛を探して山に入ります、牛のイメージがあるものの、どこにいるのかは全くわかりません。

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これは、心の中で「何か」足りない、変わりたい、成長したいという漠然とした「憧れ」や「渇望」を抱いている状況です。

1.尋牛2.0

イメージしにくいので消えり替えます。

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「カフェに入ったけど、Wi-Fiがあるのかも分からない」ただ、「今日はインターネットを使いたい」という気持ちがある状態です。

悟りを目指すという「発心」、つまり決意を固めた最初の段階です。

2.見跡

少年は、ついに山の中で牛の足跡を見つけました。

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2.見跡2.0

カフェでは「Free Wi-Fi」の張り紙をみつけました、インターネットへの手がかりを見つけた状況です。

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これは、経典を読んだり、師の話を聞いたりして「なるほど、これが悟りへの道か」と頭だけでわかっていり状況です。

3.見牛

足跡をたどると、牛のお尻が見えました。しかし、牛の全体図はまだ見えていません。

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3.見牛2.0

スマートフォンの設定からようやくSSIDを見つけました。これが接続先だと確信した状態です。

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ようやく体得する具体的な手がかりは見つけましたが、まだまだ時間がかかりそうです。

4.得牛

少年はついに牛を捕まえましたが、牛は荒々しく、少年はコントロールできずに苦労しています。

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4.得牛2.0

「Wi-Fiに接続はできたけれど、すぐに途切れる」インターネットに繋がったり、繋がらなかったりの繰り返しです。接続を維持するために、努力が必要な状況です。

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ようやく体得のきっかけを掴んだものの、まだまだ不安定で、努力の継続が必要な「修行中」そのものの状況です。

5.放牛

少年は牛を飼いならすことができました。しかし、牛が逃げていかないように、まだ縄をしっかり持つ必要があります。

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5.放牛2.0

ネットの接続が安定してきました。もう途切れる心配はありませんが、たまに電波の状況を意図的にチェックしています。

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意識すれば対象をコントロールでき、ようやく自分のものになってきた状態です。

6.騎牛帰家

少年は牛に乗って家に帰ります。自由に牛を乗りこなし、笛を楽しんでいます。

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6.騎牛帰家2.0

ネットワークの接続が高速になり、自由自在にインターネットを楽しんでいます。もうWi-Fiの存在は意識の外にあります。

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自分が対象と一体化しています。対象を自分のものにしたとも言えます。

7.忘牛存人

少年は家に帰り、牛の存在を意識せず、日常の生活に戻っています。

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7.忘牛存人2.0

こちらでも、スマホを机に置きコーヒを嗜むごく日常の世界に戻ってきました。

皆さんは普段Wi-Fiと繋がっていますが、Wi-Fiに繋がっているという意識をしてはいないと思います。
いわば、当たり前のものです。

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これは、目標やスキルを完全に体得して、それが当たり前になった状態です。

皆さんも、毎日使っている道具なのに、いちいち意識しないことってありますよね。
例えば、包丁でも車の運転でも、慣れた頃には“自分が使っている”という意識がほとんど消えています。

ここで一つの目標やスキルは完成しますが、禅の修行というものはここからさらに深く進みます。

8.人牛倶忘

絵には何も描かれていません。残っているのは、ただ一つの円だけ。
牛もいない。そして、今度は、探していた「自分自身」までも忘れてしまいました。

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では、「自分を忘れる」とはどういうことでしょうか?
ここでいう「忘れる」とは記憶が無くなることではありません。「自分の欲や不安、こだわり」に振り回されなくなるという意味です。

曹洞宗の開祖道元禅師の言葉です。

仏道をならふといふは,自己をならふなり。 自己をならふといふは,自己をわするるなり。

『正法眼蔵』現成公案

仏道を学ぶとは、自分自身をよく見つめること。
そして、自分をよく見つめるとは「自分という殼にとらわれなくなる」ということです。

私たちというのは牛やWi-Fiのようにコントロールできない不安定なものです。

だからこそ、
「どうしてイライラするのだろう?」
「なぜ、あの言葉にこんなに反応してしまったんだろう?」

そんな揺れ動く自分を見つめることが「自分を学ぶ」最初の一歩です。

そして、自分を学ぶということは、やがて「自分を忘れる」ことにつながります。
「自分を忘れる」とは、「あれが欲しい」「これが嫌い」といった欲望や感情の波から離れること。それは、心をしばる執着からすっと離れる瞬間のようなものです。

また、私たちは何か得たり、成し遂げたりすると
つい「それを成し遂げた自分」にしがみついてしまいます。

「評価された自分」は知らないうちに心をふくらませ、執着へと変わっていきます。「こうでなければならない」という強い締め付けから、ふと離れる瞬間があります。

まるで、長いあいだ自分を縛っていた紐が、自然に緩んでいくような
そんな、やわらかな心のほどけ方です。

そのときこそ、
「自分という殻から離れている」
つまり「自分を忘れている」状態なのです。

9.返本還源

再び山や川、そして自然が描かれた「ありのままの世界」へと戻ってきます。

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9.返本還源2.0

こっちの絵では東京タワーが見えます。

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悟りとは、特別な世界へ行くことではありません。
「目の前の生活そのものが大切に思えるようになること」です。

先ほどの道元禅師の言葉には続きがあります。

自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。

『正法眼蔵』現成公案 

自分を忘れるとは、
「自分は周りのすべて(万法)に支えられて生きている」
その真理に気づくことなのです。

私たちは自然の中に生き、さまざまなご縁に生かされています。
人とのつながり、偶然の出逢い、見えない支え。
その積み重ねが、いまの私たちを作っています。

だからこそ、「ご縁に感謝して生きる」という姿勢が生れてくるのです。

10.入鄽垂手

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さっきの少年は僧侶となり、悟りを開いた姿で、人々の集まる賑やかな街へ、入っていく姿が描かれています。

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仏教の教えはは「自分のためだけに簡潔するものではありません。体得した智慧を他者のため、世の中を照らすために活かしていくものです。

これは、偉ぶることもなく、ありのままの姿で優しい笑顔で困っている人々に手を差し伸べている「慈悲の心」を表しています。

この布袋さんのように、すべての人に分け隔てなく接する姿です。「ご縁に生きる」というのは、この布袋さんのように、すべての人に優しく接していくということなのです。

おわりに

「Free Wi-Fiを探す」という身近な例から、十牛図という禅の世界を紹介させていただきました。

禅の世界には、今日見ていただいた面白い美術もいっぱいあります。

この十牛図が、皆さんの日々の生活のどこかで、ふと思い出して何かのヒントになっていただけたら嬉しいです。

ありがとうございました。

今回使った絵はAIを使って作成しました!こんな簡単に作れちゃうのびっくりです。

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